
昨日の続き、、、
今でこそジグザグしてブロックラインをとる、というのは、
珍しい光景でもない?ですが、
エストリルでいきなりセナの幅寄せを見たもんだから、
なんて危ない事をする選手なんだ!!!と子供心に思い、
絶対的王者プロスト寄りで応援を始めるも、
そこにチャレンジする若き速すぎる天才の構図が、
次第にセナびいきになっていく?
受けて立つ側のプロストは、次第に追い詰められ、
最終的には89年鈴鹿決戦での最終シケイン、
90年の鈴鹿第1コーナー、とやってやられてやり返されて。
プロストの政治的な発言は多々物議を醸すが、
それもこれも速過ぎる天才を、
自分自身でマクラーレンに招いてしまった事、
そのせいでマクラーレンを追われる事になってしまった事、
セナがいなければ?そんな事にはならなかったのだろうけど、
プロストがいたからこそのセナがあるわけで、
セナだけが単純に凄かったとは今も思わない。
私はプロストこそが歴代ワールドチャンプの中でベストだと思う。
死の淵から蘇った男、ニキラウダの強さを学んだプロストは、
ワールドチャンプの記録は4回ではなかったはず?
84年の雨のモナコをセナに勝たせないために中断しなければ、
1位の獲得ポイントは半分にならず、
84年のチャンピオンはラウダではなかった。
88年も16レースの内11レースのポイントを足していく、
有効ポイント制が敷かれていたために、
全戦合計であればプロストだったはず。
93年の4回目の戴冠も素晴らしい、
年齢からしても、マシンの進化具合からしても、
それまでの彼とは別次元のものを求められ、
80年代を活躍してきた選手たちが、
通用しなくなるところに来ていた中で、
よくぞ勝ち取った、と今なら思う。
一番凄いと思うのは、セナはトラック上で亡くなったが、
プロストは怪我をせずF1人生を全うした、という事。
えっ?だから何?いやいや、
角田選手が最速レッドブルに乗ったからと言って、
急に結果が出るわけでもない?
でも昔のF1は懐が深かったなぁ?と。
中さんは88年は初戦のブラジル6位1点のみ、
89年は雨のアデレード最終戦、待ちに待った4位のみ(完走7台)、
91年も初戦のフェニックスの5位の2点のみ、、、
それでもそれでも、そんな選手やチームはたくさんいた?
たくさんいたし、そんなチームや選手ほど記憶に残る?
速いだけが正義じゃない?
先日のGSE20のIS250は、純正ビルトインETCエラーが頻発、
余りに酷くて事故につながってはいけないので、
手持ちの中古に交換、セットアップも完了。
エンジン不調で入庫のHH6のアクティバン、
1番シリンダーが失火しており、
原因のイグニッションコイルは一本のみ交換。
スパークプラグはそのまま、代わりにエンジンオイル交換を。
初回車検で入庫のZWR90のノア、当方には初めての入庫、
電子車検証ではなく、紙の車検証なんですが、
久しぶりにOBD検査対象車両、
無事にアプリと通信できました。
電子申請はできるが更新は陸運局で、、、
タイヤ交換で入庫のMH22SのワゴンR、
165/55R14のサイズは、
ネクセンのNプライズSH9Jで!
この他にもあれこれと、ありがとうございました~!