2025年2月11日、創業より50年を迎えることが出来ました。
寒いものの寒波も落ち着いて、いつもと変わらない冬の朝です。
特段これといって何かをしようという訳でもありませんが、
これまでの思いを文章で残しておきたいと思います。

 

50年の内の約半分を私が経験した事になります。
私がこの仕事をしたいと思う頃、
当時のとある学のある先生にこう言われたのを覚えています。
「真砂君、企業の平均寿命は何年か知っているかね?
 25年なんだよ、君のお父さんの会社は、
 もう終わろうとしているんだよ、そんなところに入って、
 一体君は何をしたいんだね?」と。
そう言われて皆さんならどう思いますか?
成長過程にある未来志向の会社に就職しなさい?
とアドバイスしてくれたつもりだったのでしょうか?
真意は分かりませんが、私はこう思いました。
もしそのような会社に勤めることが出来ても、
仮にその会社が10年目くらいだったとしましょう、
統計上で言えば残り15年程しかない、
同じくらい経てば同じような寿命がやってくるのなら、
やりたいと思う方をやりたいな、と。
そして自分が入ることで、何とか延命できるんじゃないかと?
確かに約25年くらい前の当方は、
下降曲線にあったことは否めません。
実際今も上昇曲線にあるとも思っていませんが、、、
ただ私が加入した直後、大病後の父親が再奮起し、
民間指定工場資格の取得に尽力、
私も3か月間での持ち込み検査、
神戸市西区玉津の軽自動車枠+姫路白浜普通車枠、
合わせて100台中、再検査発生率3台以内を、
一発で達成することが出来て、
あっという間に体制が整ったのを喜びました。
3か月と言っても、1月の最終日に1台持ち込み、
2、3月で残りの99台を持ち込みしたのだから、
下降曲線にあったとは言え、
それだけの車検台数があったのも事実、
今私が頑張ってる状況よりずっと上なんですから、
ガックリきちゃいますよね、、、?

 

その後私の祖父が亡くなり、
暑い8月の後半のお葬式の際に、
店番をしていた私の元に、1台のエンスト症状の車両が入庫、
1年目か2年目の私の対応は十分ではなく、
たいそうご立腹されました。
今思い出すと、何てことないISCVだと思います。
そもそも単純に習っていないから分からなかったのですが、
こりゃ分からないなりに、電子制御を勉強しないといけないな、
と強く思ったのを覚えています。
恥ずかしながら私は整備士学校も行っていませんし、
ディーラー等での勤務経験もありません、、、
働きながら整備士資格も取りましたし、ここでの経験が全て、
だから我流な部分が多いのは否定できませんが、
逆に言えば自由に取り組む事ができる状態にあったかな?
このブログを続けているのもそういった事の表れかと。

 

下降曲線にある中で、段々と自分の思いが定まってくる、
小さくてもいいから、大きくならなくていいから、
自分の目と手の届く範囲でいいから、
自分が納得できる整備を心がけよう、と。
そうやって細々とやっていく内に、
気が付くと自分の枠を超えるくらいになってしまい、
オーバーワークが祟ってよくない事態を招いてしまう、、、
少しづつ増えてきた入庫に喜ぶ半面、
こりゃまずい状況になってしまったな、と。

 

思えばこれまで沢山の方に来て頂けました。
いまだに至らない点が多々ある当方へ、
ずっと来て下さる方、新しく来て下さる方、
来なくなっちゃった方、再び来られる方、
私たちを気遣ってくれる素晴らしい方々、
お金を払わなかった方、踏み倒した方、
罵声を浴びせた方、馬鹿にしてきた方、
みんな忘れません、、、みんな思い出せますよ!
書いてきた事が、その時々の手がかりになっていますし、
そういった負の面もプラスの面も、
全てが私たちを構成していると思っています。

 

残念ながら、私がしてきた事は、創業以降の25年と違って、
その土台の上での、ただの延命作業だったと思います。
大きな繁栄を築く、というのは本当に難しいと思っています。
ただ細く長く続けていく、という事も難しいとも思っています。
どちらがどうとかはないとも思っていますが、
ここまで来れたのも事実だと思います。
だからまた、大きくならずとも、小さいなりに残っていくには、
どうあるべきか、どうしていくべきか、
自分たちの出来る事を出来る歩みで進んでいければと思います。