先週の土曜日はひどい雨降りでしたね。
本来子供の運動会が行われる日程だったんですが、
予備日だった日曜日も運動場のコンディションが良くないであろうとの判断で
今週の平日に行われるように変更。
日曜なら運動会に!と考えていたんですが、空振りでした、、、残念。
で予定がなくなるならと急遽思いついたのが、
F1日本グランプリに合わせて公開されました映画、
「アイルトン・セナ 音速の彼方に」です。
映画館で映画を見るなんて何年振りかしらというぐらい行ってません。
土曜日の夜に仕事を終えてから、TOHOシネマズのある西宮ガーデンズまで。
梅田も考えたのですが、映画が映画ですからやっぱり車です。
週末といえど、こんだけ悪い天気だし、夜遅いし、
まあ空いてるでしょうなんて思ったら、映画館の席はなかなか混んでました。
お金払うまで気が付かなかったんですが、レイトショーって安いんですね、、、
私自身が初めてTVでF1を見たのは、1987年のF1日本GP。
よく分からないまま、TVがついてて5LAPあたりの130Rで
アランプロストのマルボロマクラ-レンの左リヤタイヤが
バーストしていたのを覚えています。
あとは中島悟のロータスにだけ搭載されていたオンボードカメラですね。
次に意識してF1を見たのは1988年のベルギーグランプリ、スパフランコルシャン。
CMでF1の予告をみたその晩に、夜中に目覚ましを鳴らして見ました。
この時はセナプロの1-2フィニッシュでした。
イタリアGPの第1シケインでのセナの接触は見れなかったのですが、
このあとポルトガル、スペイン、日本、オーストラリアと
マルボロマクラ-レンホンダの圧倒的な強さを見ていくことになりました。
当時小学生でしたが、中島はじめ、各チームやドライバー、
開催国やサーキット名を覚え、VTRの予約方法も覚えて、
翌NA元年といわれた1989年からは欠かさずに見ることに。
カーナンバー1のアイルトンの圧倒的な存在感に心は打たれました。
もちろんその頃タミヤ模型から発売されたマクラーレンMP4/4や
ロータス99T、ウィリアムズFW11など作りまくりました!
古舘伊知郎の解説も印象的でしたね~。
邦題で音速の彼方にとついてはいますが、当時音速の貴公子と呼び始めたのは
彼だったのではないでしょうか。
見始めた時が古舘さんだったので、違和感なく入れたんですけど、
当時相当なバッシングがあったようですね。放送直後に苦情が何千件、
次の日VTRで見た人がまた苦情の電話なんて感じで。
とはいうもののアイルトンの他、振り向けばブーツェン(ピケ)とか
通せんぼアルヌーとかしこしこ納豆走法とか針子のトラ走法とか
顔面トムクルーズとか苦虫を噛み潰した男(フランクW)とか花の64年組みとか
鉄人リカルドパトレーゼとかいぶし銀パーマーとかうまい名つけ役だったような。
新天地を求めてマルボロマクラーレンを離れてウィリアムズに移籍、
私自身この頃若干F1熱が冷めてきていて、イモラサーキットでの惨劇は
TVでは見ていませんでした。ただニュースを聞いて信じられない思いで、、、
実際F1での死亡事故は1982年のビルヌーヴ、パレッティ以来、
前日のプラクティス中のラッツェンバーガーまで
10年以上にわたって起こっていなかったわけですから。
今でも取り置きしたVHSや雑誌で彼の勇士を振り返る事があります。
勝つレースも負けてしまうレースも。
彼にように生命を極限まで燃やすことのできる人間は果たして何人いるのでしょうか。
ただ亡くなってしまった事は残念ですが、生命を燃やしきったがゆえに
なおさらに彼の存在が神格化していることは事実です。
今またこの映画を通して自分の幼少期に強烈なインパクトを与えてくれた
彼のことを振り返る事ができて本当に嬉しいです。