この時期にはF1のストーブリーグがいつも気になります。
2010年の1番大きなトピックはやはりミハエル・シューマッハのF1復帰でしょう。
昨年フェリペ・マッサが走行中に前車から脱落した部品がヘルメットに直撃、
その後のシーズンを棄権せざるを得なくなった時点でのミハエル復帰もあるか?
というのも大きな話題でしたが、
その年の初めに起こしたスーパーバイクでの転倒事故の結果、
負傷してしまった首のため、復帰は断念していたところでした。
ミハエルはご存じの通りドイツ人ですし、
もともとメルセデスとの関係も深かった人物です。
ただF1キャリアの中ではメルセデスではなく、
フェラーリでの絶対的な結果が印象に残っているとは思いますが。
遡ればメルセデスの若手育成プログラムに選ばれて以来、
ルマンでのザウバーメルセデスからの出走も有名なところ。
1994年のベネトンF1との契約内容の中には、
万が一メルセデスがF1に参戦するような事態があれば、
即刻ミハエルを呼び戻すことに同意するような文言もあったそうな。
実際に94年の終りにマクラーレンとプジョーの関係が終りに持ち込まれ、
メルセデスとのジョイントが発表された時点では、
ミハエルのマクラーレン入りが確実視されていたのが、当時の主要紙の見方。
ベネトンでの連続ワールドチャンプを成し遂げた後、
電撃的なフェラーリへの移籍をするのですが、、、
メルセデスのモーターシーンをみると、
輝かしいものの中に幾つかの大きな惨事があります。
その中でも最大のものは、1955年のルマンにおいて300SLRがグランドスタンド前で
観客席に飛び込み、80名以上ともいわれる犠牲者を出してしまったこと。
このときのドライバー、ピエール・ルベー
(フランス人、1952年のルマンでタルボに乗り、
スタートしてからドライバー交替なしで一人で走り切ろうとするも、
トップを走行中残り1時間弱のところで、
疲労困憊のため致命的なオーバーレブを犯しリタイヤ、
2、3位を走行していたメルセデスに1-2をゆずることに。)
は並んで走行していた同じメルセデスに
避難の合図を出しながら前車に乗り上げ観客席に飛び込み即死。
事故後、他のメルセデスはしばらく走り続けるものの、本社の決定の末、
残っていたマシンもレースをやめてその場を撤退、以来約30年の永きにわたり、
モータースポーツ活動を封印することに。
また再開したモータースポーツも1988年のタイヤバースト事件によりルマンを撤退、
さらに10年後の1999年には何度もマシンが宙を舞う事態にやはり撤退。
西暦の下2けたがぞろめの年にはメルセデスにとって良くない事態が起こりがちに。
以上はいずれもルマンでの惨事、
F1におけるグランプリシーンとは関係ありませんが、
来年は2011年、まさにぞろ目となります。
2012年までメルセデスとミハエルとの契約が交わされているようですが、
世界的な偉大なワールドチャンプにとって、またモータースポーツ史にとって
大変な損失にならないようにと祈るところです。